チュイルリー庭園
- Jardin des Tuileries -
M1/12 Concorde : M1 Tuileries : M1/7 Palais royal Musée de Louvre下車

 

 1789年7月13日、チュイルリー宮庭園での戦闘で、アンドレ・グランディエが戦死した場所(おそらく、コンコルド広場近く、庭園の入口付近と思われます)。

 この庭園は、カトリーヌ・ド・メディシスの命で建てられたチュイルリー宮殿に付随するイタリア式庭園として造られたものですが、1664年にアンドレ・ル・ノートルの手によって、フランス式庭園に変えられました。
 1789年7月12日(史実では1日早い)、バスティーユ襲撃の2日前、ここでドイツ人騎兵と民衆との衝突があり、民衆側をフランス衛兵の一部が援護しました。
 同年10月、ヴェルサイユからパリへと移された国王ルイ16世一家はチュイルリー宮殿に落ち着きました。ここで1792年8月10日のチュイルリー宮襲撃事件(8月10日事件)までを過ごします。
 宮殿は1877年のパリ・コミューン蜂起の際に焼失し、現在はその庭園を残すのみとなっています。

 コンコルド広場に面した側には、北にジュー・ド・ポーム博物館、南にオランジュリー美術館(改装の為閉館中)があります。ジュー・ド・ポーム博物館の入っている建物には、1789年に国民議会が、続いていくつかの革命議会が入っていたこともあります。

 
 

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